聖女の足跡



「ここだよ!」

ティーエに案内されて入った部屋は、星空を投影しているかのような空間だった。

「うわぁ…すごい…」

「ほんとね…素敵」

星空に心を奪われている二人の様子に、
なぜか自分が得意げになりながらも老婆を呼ぶティーエ。

「ばーちゃん、お客様だよ!」

「そうみたいだね。 あれだけ派手にやれば嫌でも分かるよ」

部屋の最奥に佇む老婆の表情は、まだ掴めない。

一瞬、幾ばくかの躊躇いを覚えたが勇気を振り絞った。


「私たち、お婆さんに訊きたいことがあるんです」


まだ幼さの残る、しかし強い意志を宿した、どこか懐かしさすら覚える少女の声。
そんな少女の顔を見上げた老婆の表情は、驚きのものへと変わった。


「イリゼ…?」


聞き覚えのない人の名前らしき言葉に反応する者はなく、
訪れたのは、しばしの静寂。

アールティヒの容姿に誰かの影を重ねていた老婆は、
やがて、その幻とのズレを認識し、現実への帰還を果たす。
その表情は悲しみに満ちたものへと変化していた。


「あんた…アールティヒ、だね?」


まだ自己紹介もしていないアールティヒは勿論のこと、
すぐ傍にいた二人も驚きを隠せなかった。

「どうして…?」

予感が確信へと変わっていくような感覚に襲われる。


「そうだね…どこから話そうか。 草原の村に残された伝承は知っているね?」


まるで全てを見通しているかのような老婆の言葉に、鼓動は嫌でも高鳴る。

「はい」


「あの伝承の出来事は実際にあったこと。
世界を希望で満たすという使命を帯びた聖女イリゼは、
旅の道中で、この村にも立ち寄り、そして私たちと出逢い、親睦を深めていったのだよ」


「イリゼは、それはもう純粋な娘だった。
誰しもが彼女を慕い、憧れ、それゆえに “ 聖女 ” として期待する者も後を絶たなかった」


「今にして思えば、それがどんなに愚かしく、嘆かわしいことだったか。
本当に変わらなければいけないのは、私たち一人ひとりの心だったというのに」


あまりにも衝撃的な真実に思考が追いつかず、
言葉をも失い、ただただ老婆の言葉を追うことに必死だった。

“ 聖女 ” に寄せられたであろう期待。
その重圧は、想像するだけでも押し潰されてしまいそうなほど大きなものだった。


「やがて、聖女の純粋な想いが世界になんら変化をもたらさないことに焦れた人々は、
いつしか彼女達を責めるようになっていった」


そのことを伝え聞かせる老婆の声は、深い悲しみに彩られていた。


「 “ 彼女達 ” というのは?」


不安そうなアールティヒの肩を抱き寄せたまま、気になった点を訊ねるルミナ。


「あぁ、イリゼには共に旅を続けてきた二人の仲間がいたのさ。
彼女の夫であった男と、その二人の友であった男がね」


「あの伝承に、そんな真実があったなんて」

ようやく言葉を紡いだアールティヒの瞳には悲しみの色が煌めいていた。


「だけど、どうして、その伝承が草原の村にだけ残っているのかしら」

そう問いかけながら、おそらくは訪れるであろう真実から妹を守るため、
ルミナは、より強くアールティヒを抱き寄せた。


「それは…」


これまで伝承の真実を語ってきた老婆にも躊躇いが生じていたが、
やがて、それが運命であるかのように覚悟を決めると、ゆっくりと口を開いた。


「アールティヒ…あんたはイリゼの実の娘なんだよ」


その場にいた誰もが、どこかで気づき始めていた真実。

それを知りたかったのか、それとも知りたくなかったのか、
アールティヒ自身も含め、誰にも分からなかった。


「で、でもっ」

なんとか言葉を捻りだす。

「お母さんの名前は…イリゼなんかじゃ…」


それは紛れもない “ 事実 ” ではあったが “ 真実 ” ではなかった。


「おそらく…あんたが “ 聖女の娘 ” であることを世界の人間に知られたくなかったのだろうね。
やがて生まれてくるであろう、あんたの幸せを願っていたイリゼの思いやりは、
長い時間を一緒に過ごした私たちも肌で感じていたものさ」


母の名前は聞かされていたものとは違っていた。


「お母さん…おじいちゃん…みんな…」


聖女ではなく、イリゼの娘を守るため、村の人々は嘘をついてきた。
少女の涙は悲しみによるものではなく、その嘘に対する感謝によるものだった。
彼らの苦しみが雫となって零れ落ちていった。


「それで、父親の名前は?」


涙の止まらないアールティヒを優しく包み込み、背中を撫でながら、ルミナは続きを促した。

母イリゼと同じように、父の名前にも聞き覚えはない。



そのはずだった。





「…イナーリヒ」





世界に再び静寂が訪れた―





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