大切な存在



「ここよ」

ルミナに案内されて辿り着いた先にあったのは、見る者を圧倒するほど立派な屋敷だった。

「えぇー!? ルミナっち、お嬢様だったの!?」

文字通り、目をまんまるにして驚くティーエ。

「気づいてなかったのは、おチビちゃんだけだと思うぜ」

そう言いながら笑うジェントの指摘は正しかった。

冒険者としては、かなりの経験を積んできたルミナだったが、
時折みせる、根っからの冒険者には得がたい優雅な立ち振る舞いは、とても隠し切れるものではなかった。


「私は、ここで生まれて、なに不自由なく暮らしてきたの。
他人が見れば、それを羨ましく思うのでしょうね。
でも、私は…この家が嫌いだった」

誰もが羨むような立派な屋敷は、
かつて大切なものを失ったルミナにとっては、むしろ虚しいだけの存在だった。

「だけど、いまは…」

「かけがえのない思い出の詰まっている、
とても大切な場所なんだって、そう思えるようになったわ」



「おかえり、ルミナ」

癒やしの風を纏った少女が、そう言って優しい笑みを見せてくれた。
あの子の面影を重ねながら。

「うん…ただいま」

もう迷いはなかった。



そっと扉をノックし、反応を待つルミナ。

その傍には、かつてルミナがそうしたように寄り添うアールティヒの姿があった。



「どちらさまかな?」

その温和な性格が滲み出ているような声に、懐かしさを感じた。

「お父様、ルミナです」

「…ただいま帰りました」


「ルミナ…!」

「母さん! ルミナが…!」


驚きの声と共に、ゆっくりと開かれた扉の向こうに見えた父の姿は、
自分の記憶よりも、ずっと年を重ねているように思えた。

「お父様…」

その苦労が垣間見えるような父の姿に、自然と声を漏らす。

「ルミナ…よく帰ってきた」

「…大きくなったな」

見違えるほどに成長した娘は、その瞳に憎悪ではなく慈しみの色を宿していた。
そのことが心底、嬉しかった。



「ルミナ!」

もうひとつの懐かしい声の持ち主は、
貴族の立ち振る舞いなど忘れてしまったかのように、長い廊下を駆けてくる。

その姿こそがルミナへの愛情を物語っていた。

「お母様…ただいま帰りました」

胸に迫りくるものを、ぐっと堪えながら笑顔を作った。

勢いあまるほどに強く抱き着いた母は、ただただ泣きじゃくった。



交わされた言葉こそ少なかったが、それは誰の目にも伝わる幸せな光景で、
その幸せな光景を見守っていたアールティヒの胸には、なぜか痛みが宿るのだった。



「お父様、お母様…本当に、ごめんなさい。
あの頃の私には、それを受け入れる強さがなかった。
二人のことも傷つけてしまいました…」

「もういいんだ」

「そうね、こうして帰ってきてくれたんだもの」



“ おかえり ”



その幸せな言葉は、胸の痛みを覚えていた少女の瞳から涙を零れ落ちさせた。

「あれっ…?」

自分でも訳が分からず、ただ茫然と立ち尽くすアールティヒ。





「アールティヒ?」

その優しく呼びかける声に気付いたときには、いつものように優しく包み込まれていた。

「どうかした?」

ルミナの温もりを感じながら、ただ感じたままに言葉を紡ぎだす。

「ルミナ、帰っちゃうのかな…って…」

その言葉を聞いて、あることをルミナは悟った。



あれは、いつだったか。

そう、旅を始めて間もない頃。

外の世界を知らないアールティヒを辛いことや悲しいことから守ろうと思った。

過保護な “ 姉 ” であろうとした。

大切なものを失う悲しみ。

そんなことは知らなくてもいいと。

でも、私は…



「馬鹿ね。 ここには、ちょっとした里帰りをしただけよ。
私は、これからも、アールティヒと一緒にいる。
きっと、ずっと、いつまでも」



私にとってアールティヒの存在がそうであるように、
アールティヒにとってもまた、私という存在が失って悲しいほどに大切なものになってしまった。



(守ってあげられなくて、ごめん)

(だけど…ありがとう)



「うん、うん…!」

まるで私の心の声に応えるかのように、アールティヒは、何度も、何度も頷いた。





「よかったな」

ことの成り行きを静かに見守っていたイナーリヒは、
ようやく泣き止んだアールティヒの小さな頭を、ぽんぽんと軽く撫でた。

「へへっ」

照れくさそうに笑う、つい先ほどまで泣いていたはずの顔が、どこか凛々しく見えた。





一行は、ルミナの両親の厚意により、この屋敷で一晩過ごすことになった。

「今夜は、お嬢ちゃん達だけで過ごすといい。
俺達も、ちょっと男同士で話したいことがあるしな」

部屋の空き数を確認し、そう提案するジェント。
それが彼なりの気遣いであることは容易に想像できた。


イナーリヒとジェントを部屋に案内した後、
自分達が一夜を過ごす部屋に辿り着くよりも前に、とある部屋の前で立ち止まるルミナ。

「…ただいま」

そう誰かに声をかけるように、ゆっくりとドアを開いた。

あの日から全く変わっていない、
ずっと、そこに居て欲しかった大切な存在だけが消えてしまった部屋。



「この部屋は?」

誰かの思い出が詰まっていることが容易に感じ取れるような、そんな不思議な空間で、
在りし日を思い浮かべるように、部屋中を見渡しながらルミナが答える。

「私にはね、妹がいたの」

「妹さんが?」

「そう、とても可愛らしくて、すごく純粋な子だった。
…生きていれば、ちょうどアールティヒと同じくらいの歳になってたかな」

「それじゃ、妹さんは…」

とても言葉を続けられなかった。

「こんな家に生まれ育っても、あの子の病気を治してあげることはできなかった。
それが、どうしようもなく悲しくて、ここに居ることが辛くて…逃げ出したの」


「何年も一人で旅を続けてきて…あの港町で偶然アールティヒを見かけたの。
あまりにも世間知らずだったから驚いたわ。
まるで、ずっと外の世界に憧れていた、あの子がそこにいるみたいだった」


「アールティヒが笑うとね、あの子も笑ってくれる気がして、それが嬉しかった」


儚げだったルミナの表情に笑顔が戻っていく。


「覚えてる? 初めてクエストをこなしたときのこと」

「水汲み、だよね」

「そう、ただの水汲み。
あの水を汲んで運んだときね、見かけによらず力持ちなアールティヒに驚いたの」

その程度のことは、自給自足の生活を営む草原の民であり、
冒険に憧れて草原を駆けまわっていたアールティヒには、お安い御用だった。

「その時、気付いたの。
この子は、あの子じゃない。
過保護な姉であろうとした自分が間違ってるってことに」


アールティヒにはアールティヒにしかできないことがある。

私には私にしかできないことがある。

そして、あの子には…あの子にしかできないことがあった。


「守るだけじゃない…助け合っていくことが大切なんだって」

そう言いながら、部屋の片隅に飾られていた、ひとつのキャンバスを手に取った。

「あの子の描いた絵よ。 すごく上手でしょう?」

そのキャンバスには、まだ幼さの残る柔らかな笑顔のルミナが描かれていた。


“ おねえちゃん だいすき ”


その言葉は、どれだけ幸せな時間を過ごしてきたのかを懸命に伝えようとしている。


「不思議ね。 もういないはずのあの子が、こんなにも私を支えてくれるなんて」

そう言って、愛おしそうにキャンバスを胸に抱きしめた。



「アールティヒ。 大切なものを失うのは、すごく悲しい。
だけど…そんなにも大切な人や物に巡り逢えることは幸せなことでもあるの」

「だから、どうか…失くすことを恐れないで。
前を向いて一生懸命に生きて」

「それが…少し遠回りしてしまった、お姉さんからのお願い」



「うん…約束。 ありがとう、ルミナ」





同日、夜も深まった頃―

銀世界の中に、ひとり空を眺めているルミナの姿を見つけたアールティヒは、
いつものように、老婆への手紙を綴りながら寝てしまったティーエを起こさないよう、そっと部屋を抜け出した。



深い絆で結ばれたふたりは、
白く冷たい雪の降り積もる銀世界で、いつまでも身を寄せ合っていた―





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