虹をこえて
♪『虹をこえて』 を聴く♪
眩い閃光と共に大草原の上空に帰還を果たしたアールティヒとイリゼは、
最初で最後となるであろう遊覧飛行に心を躍らせた。
<< さぁ、しっかりつかまって >>
「うん!」
雲ひとつない青空を翔ける母の背に乗り、強い風を全身に浴びる。
イリゼの慈しみから解き放たれた大草原の風は、ときに厳しく、ありのままの世界を感じさせた。
<< アールティヒ、わかりますか? >>
<< こうして鳥のように空を飛んでみても、見渡せるのは私達の生きている大草原だけ >>
<< 私達にとって世界は果てしなく広く、そして未知に溢れているのです >>
「うん…そうだね…」
世界の広さに想いを馳せるアールティヒは、
その世界を、これからは母と一緒に歩いていけることに嬉しさを滲ませる。
「おーい! おねーちゃーん!」
地上で大きく手を振るティーエの姿を見つけると、こちらからも手を振ってみせた。
すぐ隣には、風になびく長い髪を耳に掛けながら、控えめに手を振るルミナの姿があり、
どんなに離れていても、その優しい眼差しを感じ取ることができる。
<< いい子達ですね >>
<< あなた達の強い絆が心に伝わってきます >>
<< 人は、こんなにも強くなれるのですね >>
「うん…ここまで来れたのは、みんなと一緒だったから」
「みんな、いろんなものを抱えていたけれど、それを一緒に乗り越えてきたの」
<< 私は、あなたを…そして大草原に生きるみんなを守っているつもりでした >>
<< ですが、それは傍観しているに過ぎなかった >>
<< それが、みんなを悲しませていたことにも気づかずに… >>
<< 愛すべきものがあるのなら、自らの手で守るべきでした >>
<< あなた達のように >>
「お母さん…」
<< 迎えに来てくれて、ありがとう >>
<< 私は、もう迷いません >>
<< あなた達と一緒に、この世界を歩いていきます >>
「うん…!」
「いいなーおねーちゃんは空を飛べて」
「ほんと…気持ちよさそうね」
「それに嬉しそう」
満面の笑顔で応えるアールティヒを見上げる少女達の心もまた、幸せな色に染まっていった。
「…泣いているのか?」
空を翔ける母娘の幸せな光景を目で追い続けるジェントの背中に、そっと声をかけるイナーリヒ。
「馬鹿言え」
そう笑いながら短く答えたジェントの声は、隠し切れない嬉しさを滲ませていた。
「長かったな」
「あぁ…」
「もう後悔は無しだぞ」
「わかってるさ…ありがとうな」
「お互い様だ」
やがて、空の旅を心ゆくまで楽しんだ二人が地上へと帰還を果たすと、それを仲間達が出迎える。
離れていた、ほんの僅かな時間が長く感じられるほどに、みんなの存在が愛おしく、
ルミナの胸に飛び込んだアールティヒは安堵から大粒の涙を流した。
「ほら、ちゃんとお母さんを迎えてあげなくちゃ」
「うん、うん…」
ようやく泣き止んだアールティヒは母の前まで歩み寄り、ゆっくりと両手を大きく広げる。
「お母さん…おかえり」
その温かい言葉を合図に、大草原を統べるものは眩い閃光に包み込まれた。
光の中に見える影は次第に小さくなり、その形を変えていく。
誰もが待ち望んでいた人間の姿に。
光が収まり、そこに立っていたのは…
アールティヒに良く似た、ひとりの女性だった。
「ただいま…」
アールティヒの胸に身を預けたイリゼは、その両手で愛おしい存在を優しく包み込む。
「おかあ、さん…」
ようやく手に入れた母の温もりに、ずっと堪えていた想いが涙と共に溢れだした。
「お母さん!」
ぎゅっと強く抱きしめながら、何度も何度も母を呼び続ける。
頭から背中へと優しく撫で続けるイリゼもまた、
心の底で願い続けたささやかな幸せに、言葉にならないほどの想いに満たされ涙を流した。
「よかったなイリゼ。 俺も、こんな日が来るのを心待ちにしていた」
「おっちゃんはイリゼさんを抱きしめてあげないの?」
「いや、俺は…」
「ふふっ。 ティーエちゃん、その人は不器用なんです」
指で涙を拭いながら、そう言って笑うイリゼ。
「なんとなく分かります」
共に旅を続けてきたルミナも、そう同調して笑った。
ティーエも、うんうんと頷いている。
「お、お前ら…」
「でも、それでいいんです。 この人のことは誰よりも分かっていますから」
その言葉に、イナーリヒの顔は熱を帯びていく。
今度は、それを抑えてくれるほどの冷たい風は吹かなかった。
「お父さん、顔が…っ!」
ようやく泣き止んだ少女は、今度は笑いを堪えるのに必死だった。
「これが本来のコイツだぜ。 な、イナーリヒ?」
「黙れ」
「おーこわいこわい」
同じように我慢していたルミナが堪えきれずに、ふふっと笑いを漏らすと、それは瞬く間に伝染していき、
幸せな涙を誘う大きな笑い声が広大な大草原に響き渡る。
この日、心の底から笑い合った記憶は、どんなに月日が流れても色褪せることはなかった。
「あっ! 虹だ!」
ティーエが指差す大草原の空には虹色の帯が燦然と輝き、少女達を祝福している。
「不思議ね…ずっと雨も降っていないのに」
「でも綺麗…」
世界の神秘とも言える虹に夢中な少女達を愛おしく見守るイリゼ。
そのイリゼの肩を、そっと抱き寄せるイナーリヒ。
そんな二人の肩に手をまわし、共に空を見上げるジェント。
大草原を統べるものとしての力を失ったことを象徴するかのように、
晴天続きの大草原の空にかかった不思議な虹。
それは、彼女が起こした最後の奇跡だったのかもしれない―
「さて、これからどうする?」
「あたし、ばーちゃんに逢いに行きたい!」
「ばーちゃん?」
「イリゼちゃんも知ってるだろ? あの占い師のばーさんのことさ」
「あら! ティーエちゃんは、お婆さまの知り合いなの?」
「おチビちゃんは、ばーさんの子らしい」
「まぁ!」
「違うから! イリゼさんも納得しないで!」
「でも、お婆さんに育ててもらったのだし、あながち間違ってないんじゃないかしら?」
「うーん…ルミナっちの言うことにも一理あるかも」
「それに、そう思ってあげたほうが、お婆さんも喜ぶと思うな」
「そっか、そうだよね。 おねーちゃんの言う通りかも」
「血の繋がりなんて関係ない。 互いを想う気持ちこそが大事なんだからな」
「照れ屋のおっちゃんが、そこまで言うのなら間違いないよね」
「もう勘弁してくれ…」
「全部、ここから始まったんだね」
「お母さん達の旅も、私の旅も…」
「そして、みんなとの出逢いも」
「また、ここから新しく始めよう」
「私達の旅を」
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