あの日と同じ星空の下で



「…どうか、あなたが幸せでありますように―」



「はい、おしまい」



赤髪の女性が自ら書き上げた絵本を読み終えると、その余韻を失わないような優しさで、そっと本を閉じた。





「ばーちゃん! もういっかい! もういっかい!」

その物語を静かに聞き入っていた少年少女達は、もう何度目か分からない お願いをしてみせる。

「誰が ばーちゃんだ こら!」

無邪気な笑顔で そう反撃する女性の刻は、普通の人間よりも緩やかに流れていた。



大切な人達との出逢いと別れを幾度となく経験しても、その運命を呪ったことは ただの一度もない。

失うことの悲しさに埋もれてしまいがちな、たくさんの幸せを知っているから。



「ほらほら、子供は もう寝る時間だよ」

渋る子供達を寝かしつけたあとは、やれやれという幸福感に浸るのが この村での日常だ。



この大草原にある小さな村は、かつてのように外の世界との交流を断っているわけではないが、
彼女のように、ひとたび訪れては長く滞在し、さながら家族のように過ごすことができるのは容易なことではない。

心を許し合える存在であるということは、それだけ深い絆で結ばれていることの証明であった。





「…懐かしいなぁ」

ひとしきり子供達の寝顔を眺めたあとで、いまにも擦り切れてしまいそうな絵本の表紙に目を落とす。

タイトルは 『風と共に紡ぐ少女の詩』

遠い昔、あたし達が繰り広げた壮大な冒険を童話風に仕上げたもの。

この物語に登場する人物達は、あたしの胸の奥で いつまでも色褪せることなく煌めき続けている。



色褪せることがないといえば…

そんな風に想いを馳せようとしたとき、かすかに懐かしい “ 音 ” が聴こえた気がした。
それは まるで、あたしの気持ちと共鳴しているかのように。

その音色に導かれるように窓から空を見上げると、ふわりと気持ちよさそうに空を飛ぶ懐かしい影が見えた。
どんなに時が流れても変わらない、あの頃と同じ姿のままで。

それは、あたし手製の冒険譚にも登場する、かけがえのない仲間だった。



「よぉ! 久しいな」

久しぶりの再会だっていうのに、その真名に相応しい相変わらずな軽さが心地良い。
こう見えて他者への優しさに溢れている人。

「うん、久しぶり。 あんたは変わらないわね」

あたしは、そんな彼の魅力的な部分を褒めたつもりだったけれど、
その言葉に思うところがあったらしい彼は、ほんの少し悲しそうな顔をしてみせる。
いつだって他者への思いやりを秘めた彼が なにを思ったのか、あたしは一瞬で理解した。



「おまえは―」



なにかを言いかけた彼の言葉を、あたしは口元で人差し指を立てて制止する。



「ちょっとは いい女になった?」



そんな馬鹿みたいな返しに対して、フッと笑った彼が いつもの調子で応じてくれる。

「馬鹿言え、ちんちくりんが」

懐かしい やり取りだった。



彼が気にしていたのは、あたしのこと。

普通の人間よりも刻の流れが緩やかであることに責任を感じている。

あたしは、ばーちゃんに拾われたけど 誰かに捨てられていたわけじゃなかった。

あたしは、ただ そこに生まれ落ちただけの存在。



“ 箱庭 ” の創造主が消滅した日。

あたしがばーちゃんに拾われた日。

その他 諸々。



みんなよりも成長の遅い身体で旅を続けていくうちに、いろんな符合が浮かび上がってきた。

それらのピースを繋ぎ合わせて、きっとそうなんだろうという結論に至ったけれど、それはあくまで可能性。

たとえ それが真実だったとしても、あたしの気持ちは変わらない。

みんなと巡り逢うことができて本当に幸せなんだから。



「それで、今日はどうして?」

「あぁ、そろそろ退屈してる頃じゃないかと思ってな」



図星だった。

あたしにとって第二の故郷とも呼べる大草原の村は、とても居心地が良くて大好きだ。
だけど、この場所で かつての喧騒に想いを馳せていると、どうしても旅に出たい衝動が抑えられなくなっていく。



「また歌で世界を救いに行きましょうか」

「相変わらずスケールがデカいな」



本当は、そんな大それたことなんてやれっこないけれど、
想いを伝えるために歌うことの大切さを、あたし達は知っていた。



「まだ見たことのない景色も、この世界には いっぱいあるんだろうね」

「あぁ、それを探しにいこうぜ。 あいつらへの土産話を増やしていくのも悪くない」



あたしも彼も、いつかは終わりを迎える日が来る。

その時まで、たくさんの幸せな思い出を作るんだ。

だって、それを みんなに伝えたいから。





世界は幸せに満ちているわけではなく悲しいことも いっぱいある。





それでも…





(あたし達が愛した世界は、こんなにも綺麗だよ)





心地良い大草原の風を感じながら見上げる視線の先には、
あの日と同じ 雲ひとつない星空が広がっていた。





(ねっ。 おねーちゃん―)





〜Fin〜





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